2009.12.

ヒトモッコ山


榛名湖南西岸からみた榛名富士と手前のヒトモッコ山  
(右はしのピークは相馬山)


 榛名山に「ヒトモッコ山」という山がある。おそらく、どの登山地図にも出ていない。しかし、榛名カルデラの中に住んでいる人にはたぶんなじみの名前だろう。
 ヒトモッコ山は榛名富士の西にあるほんの小さな小山だ。榛名湖の湖岸をゆうすげ元湯からビジターセンターへ向かって走る道路がちょっとだけ湖岸から離れて、榛名富士と小さな丘の間を走るところがあるのだが、その小さな丘のようなところがそれである。別の書き方をすれば、ビジターセンターから北北西の方向へ水平距離で300mほど行ったあたり。
 標高は国土地理院の25000:1の地形図でみると1140mくらいだが、榛名湖の湖面からの比高は50mといったところで、「山」というにはあまりに小さなものだ。
 それまでその丘を「山」とは認識してはいなかった。脇を通過することはあっても、そこはただの斜面であり、ちょっとした盛り上がりにしかすぎなかったのだ。
 「山」としてはじめて気になりだしたのは、どこかで「榛名山にヒトモッコ山という山がある」というのを見たのが最初だった。何かの本であったのか、ネットであったのか、あるいはその他のものであったのかは今となっては思い出せない。
 “ヒトモッコ”という奇妙な名前だけが妙に頭に残っていた。後でわかったことだが、“ヒトモッコ”は“1モッコ”であった。モッコとは縄を網状にしたものに綱を付けて、土を運ぶのに使う昔ながらの道具である。ということから、ヒトモッコ山は「モッコで運んできた一杯分の土でできた山」という意味になるのだとか。とすれば、それは相当大きなモッコである。とても人間が担げるような大きさではない。そこで登場してくるのは、ダイダラボッチであったり、神様であったり、カラス天狗だったりする。
 このヒトモッコ山には伝説が残されていたのである。それも語り継がれてきたストーリーが進化を続けたらしく、調べてみるといくつものバリエーションがある。だいたい共通しているのは、主人公(ダイダラボッチ、神様、カラス天狗等)が勝負をするというもの。何の勝負かといえば、富士山と榛名山の高さ比べである。主人公がモッコに土を入れ、榛名山を高くしようと頑張るのだが、力及ばずに、富士山を作った相手に負け、モッコ一杯分の土を榛名富士の脇にドサッと置いたというのが現在のヒトモッコ山だというのだ。


 12月のある日、榛名湖へアトリの写真を撮りに行ったついでに、気になっていたこのヒトモッコ山の山頂へ行ってみた。
 湖岸の駐車場にクルマを停め、カメラを付けたフィールドスコープを三脚にとりつけ、それを担いで、鳥を探しながらヒトモッコ山の方へ向かう。最初は湖岸ぞいのビジターセンターへと通じている小道。その湖岸ぞいの散策路の途中から、一番なだらかそうで、障害物のなさそうな場所を選んでヒトモッコ山の山頂を目指した。最初から山頂へ通じている道など期待していない。それでも、ヤブこぎというほどの障害物はなかった。ところどころに雪が残っていて、背の低いまばらなササとまばらな低木と倒木がちょっとだけ邪魔をする程度。ただ、登山靴ではなく薄い生地でできた安い靴を履いてきてしまったため、ときどき枝や棘が靴を通して足まで届くことがあるのが不快だ。とはいえ、ほどなく傾斜も緩やかになり、山頂らしい場所へ達した。歩きだしてから10分もかかってはいないだろう。案の定、どこからも道らしいものは通じていない。明瞭な踏み跡らしいものもない。榛名富士を訪れる人はいても、ここへ足を踏み入れる人はごく稀な存在なのに違いない。
 あたりを見回すと、「ヒトモッコ山」と書かれた山名標識が木に掛けられているのを見つけた。手作りの小さなものだが、そう古いものではない。こんな丘のような藪山でも標識があるとうれしいものだ。立派な標識よりもこんな山には小さな手作りの標識がよく似合う。
 さらによく見ると低いササに隠れるようにして、祠の屋根らしい石材が苔むしてひっそりとあった。いつここに置かれたものなのか。時間は、ゆっくりとこの人工物をササで覆い、人の目から遠ざけようとしているように思えた。不思議なことに屋根以外の部分は見当たらない。埋もれているのか、無くなってしまったのか…。
 この苔むした祠の一部を見ていると、榛名湖周辺の“今”の時間の流れからヒトモッコ山の時間の中に一瞬足を踏み入れてしまったかのような気持ちになってきた。
 ヒトモッコ山のすぐ下では12月の恒例となった榛名湖のイルミネーションが準備されている。そして、自動車やオートバイが行きかい、馬車が観光客を乗せてポクポクと歩いている…。そこはまったくの世俗的な世界。時間に取り残されたようなヒトモッコ山の山頂とは異なる空間だった。
 たぶん、あそこで流れている時間と、このヒトモッコ山で流れている時間は違うのだ。

山頂の木に掛けられていた小さな標識


笹の中の祠の屋根らしい人工物



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