冬枯れた家の周りの雑木林を散策していると、秋に落ちた枯れ葉の上に、1つの明瞭な踏み跡が残っているのを見つけた。昨年の12月のことだ。けもの道である。踏み跡は隣の手入れのされていない雑木林からうちの生ゴミを捨てている穴へ一直線にのびている。エサの少なくなった冬の時期に、人間の出す生ゴミは野生動物にとっては貴重なものなのだろう。 いったい、このけもの道を通っているのは何者なのだろうか。 無人カメラをセットして正体を突き止めたいところだが、以前タヌキを撮影したオリンパスOM−1は、酷使されシャッターがうまく作動しなくなってしまっていた。無人カメラでけもの道を見張るには、新たな無人撮影のシステムを作り直さなければならなかった。 今回中古カメラとして手に入れてきたのはニコンF501。1986年に発売された、これも大昔のカメラだ。ニコンがオートフォーカスと自動巻き上げを内蔵した一眼レフカメラとして開発し、世に送り出した名機だが、今となってはもう誰も見向きもしないような中古品となっていた。このカメラには外部からの信号でシャッターが切れる端子が付いているので、そこに電気信号を流せばよい。だが、さすがにこの端子に合うケーブルまでは手に入らなかったので、直接カメラの端子にリード線をハンダづけしてしまうことにした。ここへ改造した赤外線センサーをつなぐ。これで準備完了。カメラ本体に直接ハンダ付けというかなり手荒な工作だが、技を持たない者にとって他に良い方法が見つからなかった。 |
家の中でセンサーとカメラを何度もテストしたのち、野外へ持ち出したのは12月も終わりの頃だった。 けもの道を通る動物の姿を想像し、一直線にのびるけもの道に対して、約45度の方向にアングルを決め、カメラをセットした。あとは何者かがセンサーの前を通るのを待つだけである。 カメラのカウンターは毎日のように、おもしろいように進んだ。毎日1コマ以上カウンターが動いている。誤作動でなければ、毎日のように何者かがけもの道を通り過ぎていることになる。だが、現像してみなければどうなっているかわからないのが銀塩カメラである。期待を大いに引っ張る。抽選前までの宝くじのようだ。 セットしてから5日後、フィルムを回収。この間、自動でシャッターが切れたのは6回にものぼった。期待はいやが上にも高まる。 …だが、現像があがってきたネガをルーペで確認していくと、シャッターが切れているにもかかわらず動物など何も写っていないコマがいくつもある。やはり誤作動なのか…。あるいは、センサーが感知したのがカメラの画角の外だったのか…。 それでも、動物も写っていた。ネコだ。灰色のトラ。けっこう太っている。そして、もう1匹は座り込んで毛繕いしているように見える動物。顔はよく分からないが、これはタヌキみたいだ。けれど、どうしたことか、ピントが甘い。カメラをセットしたときに、ピントの位置が動いてしまったのかもしれない。 レンズをより広角に変えて、1月の初めから2度目の撮影。やはり、毎日のようにカウンターは進む。 写ったのは、やはりネコとタヌキだった。おまけに、うちのネコ“ミャア”までいる。だが、今回もピントが甘い。レンズが悪いのだろうか。そういえば、このレンズはいつか落としたことがあったような…。 レンズを変えて3度目。 また丸顔の灰色のトラネコが堂々とカメラの前を歩いている。そして、驚いた様子もなくうちのミャアもフィルムにおさまっている。タヌキも来た。今回は1コマの中に2匹も!!顔つきからして、前を行くのはオスだろうか。そして後ろからついてきているのはちょっと優しそうな顔をしているメス…? 結局、約1ヶ月にわたって生ゴミへ続くけもの道を撮影し続けて写ったのは、タヌキと太ったネコとうちのミャアだった。以前、近くでキツネを見かけたこともあったけれど、彼はここの常連ではなかったらしい。 タヌキの家族とネコたち。ネコが写っているのは昼間で、タヌキは夜。夜行性のはずのネコたちもこの榛名山麓の冬の夜はあまり出歩かないようだ。現にうちのミャアも秋までは夜遊びをよくしていたのに、厳冬期の夜はおとしく家の中にいる。 それに対して、タヌキたちのたくましいこと。氷点下の夜をものともしていない。あるいは背に腹は代えられない…ということなのだろうか。 野生の動物たちが人間の出す生ゴミに頼って生きるということはけして肯定されるべきものではない。それでも写真の凍りついたような夜のタヌキの姿を見ると、“頑張れよ…”と願わずにはいられない。厳冬の夜、コタツで伸びているネコを見るとよけいそんな思いを強くするのである。 |
太った灰色のネコが横切る 2008.1.8. うちのミャアもどこかへお出かけ 2008.1.8. 毛繕いするタヌキ 2008.1.4. |
連れ添ってやって来たタヌキたち 2008.1.6. |
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