仕事で出かけているとき、家で作陶の仕事をしていた連れ合いのところへ、近くの雑木林で草刈りをしていた渡辺さんというおじいちゃんがやってきたらしい。ときどき自宅でとれた野菜やら、地元ならではの変わったものを持ってきてくれる人の良いおじいちゃんである。そうやって、お土産を持ってきてはひとしきりお茶を飲んで帰っていくのだが、なんとなく田舎ののんびりした空気も運んできてくれる。
 この日の渡辺さんのお土産はキノコだった。なんでも、草刈りをしていたら見つけたのだけれど、たった3本しかなく、自分ところでは食べるほどではないので、うちへ持ってきてくれたとのこと。
 渡辺さんはそのキノコを「モタセ」と呼んでいた。“モタセ”はもっと丁寧に言うと「ナラモタセ」という場合もあるようだが、このあたりでは普通「モタセ」で通じているらしい。そして、ここでは「山のキノコ」といえば、この“モタセ”をさすくらいとてもメジャーなキノコなのである。だから、話だけは何度か聞いたことはあった。  すると、それを見た連れ合いは、ピンときたらしい。ちょうど、同じようなキノコが林の際に生えているのを偶然見ていたのである。もしや、と思って、渡辺さんをその場所に連れて行って、生えているキノコを見せると、渡辺さんの鑑定はまさに○。そして、さらに付近を探すと大きな株が見つかったというのである。すぐ、二人は興奮して収穫したのはいうまでもない。
 仕事から帰って、こんな話を聞いた。
 山分けしたというキノコはすでに冷凍庫に入っていて、凍り付いていた。キノコの特徴はよくわからないが、「モタセ」といえば、ナラタケかナラタケモドキなのだろうが、凍っているのでよくわからない。まあ、地元の超ベテランが鑑定したのだから、食べて間違いはないのだろう。しかし、そんな大株のキノコだったのなら、ぜひ生えている姿を見たかったものである。
 翌日。連れ合いがその“モタセ”を取った場所を案内してくれた。ほとんど取り尽くしたかに思えた菌床だったが、まだ小さなキノコが数本残っていた。そのキノコを採って観察してみる。カサの真ん中付近にはささくれたようなザラザラ感を感じさせる小さなトゲのようなものがある。周辺には条線が浮かび上がっている。図鑑に書いてあるナラタケやナラタケモドキの特徴とも一致する。柄は…と、見ると、ツバがない。ツバがあればナラタケで、ツバがなければナラタケモドキだと認識していたので、これはナラタケモドキなのだろう。ナラタケでもナラタケモドキでも食べられるので、どちらでも問題はないのだが、わからないよりも、わかっていた方が良いに決まっている。そして、ちょっと残念なことに、ものの本によれば、ナラタケモドキはナラタケよりもちょっと味が落ちるともある。
 いずれにせよ、普段からこれを食べている地元の人のお墨付きをもらったキノコである。現物をじっくりと見て、頭に入れて置くに限る。図鑑だけで見るのと、本物をみるのとでは雲泥の差がある。
 
 キノコの季節はごく限られている。図鑑では「何月〜何月まで」とか「晩秋の頃」とかいろいろ書いてあるけれど、実際にはその地方によって、大体同じ頃に一斉に出だすようだ。“モタセ”もその例にもれず、地元の人は“キノコの季節”がくると、それぞれが「秘密の場所」へといそいそと出かけていく。それでも、先を越されることもあるらしくて、せっかく行ったのに、前年取った場所はすでに取られていてなかったとかいう話も何度か聞いた。
 春のゴールデンウィークの頃がタラノメなどの山菜の先陣争いならば、秋のこの季節はキノコの争いなのである。
 ナラタケ・ナラタケモドキはこれで“仮免許”程度ながら、マスターした(気がする)。
 もしかしたら、雑木林にはもっと、このお宝が眠っているのかもしれない… そう思うと、是が非でも自分もこのキノコ争奪戦に加わってみたくなってくるのは自然のなりゆきというものだろう。
 頭の中にかご一杯のナラタケを想像しながら、裏の雑木林に分け入ってみる。陽が当たる雑木林の周辺にはチヂミザサが実をつけて、そこを通過するもの達に種をくっつけて運んでもらおうと虎視眈々と待ちかまえている。たちまちのうちにズボンには、この種がくっついてしまった。秋の雑草の中を歩くとどうしてもこれは避けて通れない。
 キノコは…。 あるにはある。けれど、どれも食えそうもない。
 尾根にまであがると、立派な白い大きなキノコが生えていた。ドクツルタケである。これが食えたらいいのにというくらい大きい。だが、数本食えば、もう人間でいられなくなるくらい強烈な猛毒を持っている。おりしも、新聞の小さな記事では、東北のどこかでこのキノコを食べて死亡事故があったと伝えていた。さすがに、このあたりではこの毒キノコを採る人はいないらしく、このキノコだけは大きな顔をして、あちこちに顔をだしているのである。こうして、食べられるキノコは減って、毒キノコだけが増えていくのだろう。
 結局、付近の雑木林を1時間以上探し回って、収穫できたキノコは何もなし。
 渓流釣りでも、山菜取りでも、キノコ狩りでも、出かけていくときは常に持ちきれないほどの収穫物を想像して、勇んで出かけていくのに、だいたい、帰ってくるときはいつも虚しい結果とともに帰ってくる。
 それでも、今度こそ…、と毎回期待だけは大きく、ちっとも学習しないけれど、それはそれで山や川へ入っていく原動力となり続けている。
 そして、持ちきれないほどの収穫物を夢見て、今晩も安らかに眠りにつけるのである。
明日こそ、かごいっぱいのモタセを取ってこよう… なんて。

 
 近くの雑木林でみたこれもナラタケ…?
 ちょっと古くて、怖かったので、そのままにして置きました。

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2005.10.

   



家の雑木林に出たナラタケ
美味しく頂きました。
 
  10月の空は秋晴れ…。と思っていると、天気は気まぐれなもので、一週間も連続して雨が降ったりやんだりという嫌がらせをしたりする。それでも秋は確実に深まっていくらしく、木々の葉の色は緑色から黄色がかって、サクラの仲間などは紅葉を始めたり、葉を落とし始めているのもある。夏の間、生い茂った葉で向こう側が見えなかった雑木林にも、少しだけれど向こう側の空が見える隙間が出てきた。
そんな秋の長雨の頃。近くの雑木林では下草刈りをする草刈り機のエンジン音が聞こえてくるようになった。この下刈りをしている雑木林では、これからどんどん落ちてくる落葉樹の葉を集めて堆肥をつくったりするのだという。背の高い夏草が茂ったままでは落ち葉も集めにくいので、あらかじめ刈り取っておくというわけである。

かご一杯のモタセの夢